葬儀は要らない、のか? 「神道で考える」

葬儀は要らない、のか? 「神道で考える」

  平成22年(2010年)『葬式は、要らない』(幻冬社新書)という本がベストセラーになりました。著者の島田裕巳氏の名前を見て懐かしく思いました。宗教学者でしたが、その昔オウム真理教を擁護したような形になり、大学教授の職を失うことになった人だという記憶があります。
 本の帯に「葬式大国・日本の葬式無用論」とあり、タイトルと合わせて考えると葬式は全く不要と書いているのかなと思いますが、中身はそこまで過激ではなく、「葬儀は贅沢品なんですよ」というのが著者の主張かなと感じます。葬儀の歴史、葬儀に対する日本社会や日本人の意識の変化、檀家制度や戒名など葬式仏教に対する主張などが書かれており葬儀についてあまり知識、関心のなかった人には面白い本かもしれません。

 この本についてもう一つ興味深いのはインターネット上にある、僧侶による書評です。もちろん評価してる人はほとんどいません。この本が痛いところをついているというわけではなく、僧侶の側としてはこの手の葬式仏教批判は聞き飽きてるのですが、こういう本が売れるというのはあまり愉快なことではないのだろうと思います。
 本はお金の話が多く、葬儀の費用が平均231万円で外国と比べると圧倒的に高いと批判しています。231万円という数字自体は正しいのか、平均は実情を表しているのか、また海外の葬儀はどういうことしているのか、そのあたりの詳しい話はわかりませんが、現在の葬儀はお金がかかりすぎだという声が大きくなりつつあるのは事実です。葬式仏教離れは多くの寺院の存亡に直結しますから、この手の本がベストセラーになるということはその声が大きくなっているという現実を再確認させるようで、よって僧侶からすると顔を曇らせることになるのは自然なところです。

 日本人の葬儀の変化

 神道でも出雲は葬儀を熱心にしますので、筆者も葬儀についてはかなり勉強しました。よって、日本人の葬儀の行方は大変気になるところです。

1)死者の生前の希望
2)家族の希望
3)参列者の希望
4)霊魂の行方

 その昔、葬儀は村全体の行事でした。準備が大変だったこともあるでしょうし、最後くらいはみんなで送るものだ、という気持ちがあったのでしょう。また、死者を扱う宗教行事ですから、どうしても過去の通りにやるべきだ、という伝統主義の意識が強く働きます。
 昭和になって、人々はどんどん移動するようになります。村の行事から家の行事へと、家から葬儀会館での葬儀へと徐々に変わっていきますが、過去のことはなるべくそのまま行おうとします。
 個人が自分の葬儀は自分が決めるという空気が強くなってきたのは、団塊世代が老年になった最近のことだと思います。ようやく「葬儀はこうしなければならない」という伝統主義から解放されたということでしょう。
 そこで、本や雑誌にも「自分の葬儀はこうしたい」といった特集が組まれ、有名人もいろんな意見を発表したりしています。それはよいのですが、読んでいるとどうも、「自分がどうしたい」という意志のみが主張されているように感じます。
 確かに自分のための葬儀なわけですが、葬儀の時は自分はすでに死んでいます。ですから、家族が行い、参列者が来るわけなので、その人たちの都合も考えないといけないのではないかと思うのです。
 例えば、最近は家族葬などの小規模葬が人気です。お金を掛けたくない、家族に負担を掛けたくないという気遣いでもあると思いますが、もし、会社社長とか有名人とかで顔が広い人だった場合、葬儀に出席できなかった人たちが「ぜひお参りさせて下さい」とみんな家に来て、返って家族の負担が大きくなることもありえます。

 それから、昨今の自分らしい葬儀の話や本「葬儀は、要らない」でもそうですが、どうしてもお金の話に終始しがちです。
さらにお金がかからないということで、無宗教の葬儀というのも出てきています。お別れ会みたいなものでしょうか。そこで問題なのは葬儀というのは単なる儀式なのか、ということです。単なる儀式というよりは宗教行事、もっといえば霊的な祭祀なのではないでしょうか。
 日本人の大半は今も死後に霊魂があって、生前の人格を保ったまま、死後の世界で暮らすのだろう、と信じています。その思想に合わせる形で、仏教各派も葬儀にてそれぞれの宗教行為を行っているのではないでしょうか。それが必要なのか必要でないのか、ということも考えて、決めた方がよいでしょう。

 神道、出雲大社教の葬儀

 さて、神道、特に出雲大社教の葬儀について説明します。
 神道では人間は死後に神になると言われています。死後の世界である幽冥(かくりよ)を治める神さまは、出雲大社の御祭神である大国主大神さまと言われています。そこで、故人が幽冥で安らかに静まるように大神さまにお願いするのが出雲大社教の葬儀です。
 流れは以下の通りです
 帰幽奏上祭 (神殿にて大神さまに帰幽(亡くなったこと)を報告する
 招魂祭・前夜祭 (みたまを霊璽にお移しする)
 通夜 (もとは一晩徹して甦りを期待した)
 葬祭 (最も重要な祭儀。個人を偲ぶ「誄詞(るいし)」を奏上する)
 火葬祭 (火葬場でお別れをする)
 帰家祭 (家、または斎場に戻ってのお祭りをする)
 毎十日祭 (十日ごとにお祭りを行う)
 五十日祭 (これが終わると忌明けとなる)
 埋葬祭 (墓地へ埋葬する)

 地域によって、順番がことなります。上記は京都での流れですが、出雲では先に火葬してから葬祭を行うようです。
 葬儀は家族、参列者がお別れをする場でもありますが、やはり、もっとも大切なのは故人の霊魂がいち早く、安らかにお鎮まりになってほしい、そのために行うことなのです。

 神式はお金がかからないという話が広まっているようですが、一部は事実です。神式では戒名がありません。○○△△命(みこと)と現世での名前を引き継ぎますので、戒名の費用はいりません。ただ、葬儀自体にかかる費用はそれなりのものになります。特に奏楽などいれると人数が増えるため、費用も高くなります。

 終わりに

 いずれにせよ、個人が自分の葬儀をどうするか、選べるようになったのはよいことだと思います。葬儀なんかまったくいらん、直接火葬場に送ってくれとかもありえると思います。ただ、葬儀は自分だけのものでもありません。家族や他の人のことも考えて、選んで頂ければいい、そう思うのです。

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<このページの筆者>
 中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。

★教会長中島の本が出ました!
 日本人が伝えてきた心、そして生き方を、神道、神さまの話を中心としつつ、語った本です。相当な時間を掛けて作り上げました。ぜひ一度お読みください。

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