神道と陰陽道

神道と陰陽道

 陰陽道(おんみょうどう)とは陰陽思想や占術などの中国思想を元にして、仏教や神道の要素も取り込んでできてきた信仰の体系です。
 陰陽道については、学者が書いた優れた本がたくさんありますので、ここでは簡単に陰陽道の歴史をたどりながら、神道との関わりを見ていきます。

 陰陽寮

 奈良時代に確立したといわれる律令制のおいて、中務省の下に陰陽寮(おんようりょう)という役所が作られます。これの読みは「おんみょう」ではなく「おんよう」が正しいようです。
 この陰陽寮は、陰陽、天文、暦、漏刻(時刻)が職域でした。いずれも中国から伝わってきた思想、技術を元にしています。このうちの陰陽とは中国の陰陽説を元にした占いなどを行うものです。例えば、国家に起こった不幸の原因が何であるかを占い、その結果を知らせました。天文は月星の順行をみて異変があれば知らせます。暦は暦の作成を行います。漏刻とは水時計のことで、時計の管理を行いました。

 安倍晴明

 陰陽道でもっとも有名なのが安倍晴明です。最近、小説、漫画などによって、一般の人にも一気に有名になりましたが、晴明は平安時代中期の実在の人物です。陰陽寮の官人として勤め、天皇や貴族に対して、易を用いた占い、除福消災の祭りやまじないを行い、日の吉凶や方位の吉凶を判断しました。これらは晴明だけでなく陰陽寮の官人が行ってきたことです。
 阿倍(安倍)氏は古代の有力な貴族でしたが、晴明の頃は官位もあまり高くありませんでした。さらに、それまで安倍氏で陰陽寮に勤めた人間はいませんでした。
 なお、晴明が初めて史料に出てくるのは晴明が四十七歳の時です。また天皇や貴族についての祭祀やまじないを行って盛んに活躍したのは六十代の後半になってから八十五歳で死ぬまでの間でした。ですから、特別な能力を持つ青年貴族晴明が活躍するというよりは、熟練した老人晴明が活躍した、と言う方が実態に近いようです。
 その後、陰陽寮の重要なポストは賀茂氏と安倍氏の二氏で代々独占します。安倍晴明と同じように活躍した人間は何人もいました。しかし、その中で晴明の名声が高く伝えられたのは、安倍氏が初代として晴明の神格化に努めたことにあると思われます。

 陰陽道と神道の歴史

 晴明も行いましたが、そのうち除福消災として陰陽思想から来ている神を祭り、○○祭という名で公的私的な祭祀を行います。こうすると神道と似てきます。最も、奈良、平安時代は天皇が病気になったり日照りが続いたりすると、神社にお供えをして、寺院では読経させました。それがもう一つ増えたと言うことでしょう。
 陰陽説や五行説などの中国思想を元に、仏教や神道なども取り入れながらできてきてきたのが陰陽道です。陰陽道の占いやまじないを必要としたのは、もちろん天皇や貴族だけではありませんでした。そこで民間にも陰陽道の活動を職業にする者が現れます。これらの人たちが陰陽師と呼ばれました。
 除福消災を祈願をするという点で、陰陽師の活動は神職と似通っています。そこで、商売敵ということでしょうか、対立することもあったようです。また反対にお互いに影響を受け合うことにもなりました。神道には占いやまじないの要素が少ないため、陰陽道から多くのものが取り込まれました。
 安倍氏は後に土御門(つちみかど)氏を名乗ります。江戸時代には土御門氏が全国の陰陽師を支配する立場になります。江戸時代の中期には土御門泰福が儒家神道である垂加神道や、伊勢神道を学び、これらを取り入れ、土御門神道という流派を作り上げていきます。
 明治維新によって新政府が誕生します。神仏分離によって、陰陽道の神はすべて神道の神を名乗ることになります。また、陰陽道自体を禁止しました。その理由は迷信のたぐいがあまりにも多いためです。明治政府はなんでもかんでも国家神道にしようとした、というのは間違いで、神道を中心に持ってこようとはしました(のちに失敗)が、それ以上に迷信や呪術から解放する啓蒙活動に熱心でした。
 ただ、陰陽道が表向きは無くなりましたが、迷信と言われようが、また迷信と言われるものほど民衆の関心は簡単には失われません。陰陽道の占いやまじないは民間の宗教家や宗教団体に多く伝えられました。

 陰陽道の神

 陰陽道では○○神と称していました。一神教ではありませんでしたので、たくさんの神々がいます。それも神道との関係が深くなる理由の一つだったでしょう。陰陽道の神で、特筆する神を挙げていきます。

・泰山府君(たいざんふくん)
 泰山は中国東部にある聖山。天下泰平をなしとげた皇帝が封禅という儀式を行う山として有名です。その山に祀られた泰山府君は冥府の神、生死をつかさどる死後の世界の神です。神道で言えば大国主大神に当たるのでしょうか。
 安倍晴明がこの泰山府君に長寿や健康を祈る祭である「泰山府君祭」を熱心に行ったと言われています。

・牛頭天王(ごずてんのう)
 元々はインドの神だったらしく、釈迦が説法が行った寺院である祇園精舎の守護神とも言われています。この神が中国に入って仏教や道教と習合し、その後日本にも入ってきます。そして、スサノオ尊と習合します。仏教守護の神でしたが、陰陽道の影響もあり疫病鎮めの神として信仰されます。
 明治維新後の神仏分離によって、牛頭天王を祀っていた祇園社はスサノオ尊を祀る神社になりました。

・歳徳神(としとくじん)
 方位の神、というと陰陽道の神という感じが強くします。歳徳神は福の神で、その年に歳徳神がいる方向が大吉の恵方になります。江戸時代には正月に恵方参りをする人がたくさんいましたが、いつしか忘れ去られました。
 しかし、近年節分の恵方巻キャンペーンによって、恵方という言葉が再び知られるようになりました。(歳徳神という神の存在はまだ意識されていないようですが)
 方位の神は他にも、太歳神(たいさいじん)、大将軍(だいしょうぐん)など八将神と呼ばれる神が存在します。神社が発行する暦にはこれらの神々が掲載されていることがあります。

・金神(こんじん)
 金の神と書くから御利益があるのだろうと思うかもしれませんが全く反対で、それどころか最強の凶神であると言われています。その年に金神がいる方角は大凶で、これを犯すと家族を七人殺し、家族が七人いなければ隣人を殺す、とまで言われていました。
 とにかく最凶の神ですから、人々からは非常に恐れられました。金神除けのまじないも広く行われたようです。しかし、今ではすっかり忘れ去られてしまいました。その事実の方が恐ろしいかもしれません。いずれこの金神を取り上げて煽る占い師や宗教家が出てくることでしょう。

 現在の神道の陰陽道

 陰陽道は元はと言えば中国思想、主に道教、次に仏教(密教由来のものが多い)を起源にしていますから、日本古来の神道とは何も関係ない、ということになります。ただ、長い歴史の間にいろいろと相互作用がありましたので、現在の神社神道での行事の中に、道教、陰陽道由来のものもあります。また、安倍晴明は凄い人なので神としてお祀りする、というのも自然なことですし、過去に陰陽道由来の神をお祀りしていた神社が、それに関係するお祭りや行事を行うのもこれまた自然なことですし、またそれが面白いところ、であるとも言えるでしょう。

 神道の信徒として

 ただ、これからの神道の信徒はどうすべきか、ということはこれまた難しいところです。何でもかんでも外国由来のものを切っていくと何が残るのか、という問題もあります。特に占いやまじないの要素が神道には少ないですから、オカルトやまじないに興味が強い人は陰陽道由来のものにひきつけられる人も多いようです。古神道なるものの行法、まじないを見ると、あきらかに陰陽道由来だろうというものも多数見られます。
 江戸時代末期の有名な国学者である本居宣長は、仏教や道教といった中国思想が入ってくる前の神道というのを追い求めました。宣長は泰山府君や牛頭天王といった陰陽道由来の神を、「仏教から来たもの」と一刀両断しています。
 仏教伝来前の神道というのはよくわかっていないところも多いので難しいところもあるのですが、神道の信徒としては、出来る限り本来の神道、日本固有のものとは何かを考えて、優先していくことが大切であると考えています。

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<このページの筆者>
 中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。
・ツイッター@nkjm_tkhr

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