出雲大社と資生堂

出雲大社と資生堂

 資生堂と言えば日本の化粧品のトップメーカーというだけでなく、アジア始め世界にも進出している日本を代表する企業の一つです。その資生堂は出雲大社と深い縁がありました。

車中の奇遇

 昭和33年6月の『幽顕』(出雲大社教機関誌)に「車中の奇遇」という題で以下の記事が掲載されていました。

 前管長様が松江より電車でお帰りの折りに人品いやしからぬ紳士が二人同車しておられ、その温容が”たいこくさま”と”えびすさま”に似ていて、随行の今西教正もつくづく失礼ながら見ていたと云う。この二人の紳士は後刻、神楽殿に来られてお神楽を申出られてはじめてその人が知れた。資生堂の重役伊与田光男氏(現社長)と土橋信太郎氏であった。今から三十年も昔の事である。

 当時は満州事変前の政治情勢と経済状態とが限りなく険悪な風雲を孕んだ頃であって、資生堂としては創業以来もっとも暗い新年を迎えていたらしい。この時にあたって、資生堂は社運の興隆弥栄えを祈願するために二人を派したのである。

 出雲へのお参りに、だいこくさまとえびすさまのようなふくよかな御両人が来られた事も、車中での管長様との御縁と云い、全く親神だいこくさまの結びによるものであろう。だいこくさまとの縁が資生堂は結ばれた。それから年毎に正月と五月に代表として重役諸氏が神恩感謝と社運隆昌祈願のために参られる事になり、今年は五月四日に社長伊与田氏をはじめ重役其他一八名が参拝された。

ダイコクさまに護られて

 また、その後の昭和43年発行の『東京ライフ 出雲大社特別号』には森治樹氏(当時資生堂前社長現相談役)による「ダイコクさまに護られて 出雲大社と私」という記事が掲載されていました。 

 資生堂と出雲大社との関係は三十数年に及んでいる。昭和の初期、化粧品の売り出しに、出雲のご神像を頒布したことが、そのきっかけとなったのである。
 当時の販売担当は、土橋信太郎氏取締役で、氏はこれを契機として、毎年出雲大社に参拝した。そしてしだいに熱心な出雲信仰者となった。かくて出雲大社と資生堂とは、土橋氏のこの信仰を通じてより深く結ばれて行ったのである。

 ところで私と出雲大社との結びつきは、実に思いもかけない事柄によってであった。
 昭和二十七年の暮だった。当時私は財務担当常務として、戦後の財政的難局に当面して苦闘していたが、その時は歳末をひかえて、連日東奔西走、席の暖まる暇とてなかった。そんな或る日、既に引退していた土橋氏が、私のところに来られ、さも心配そうに「森さんこの暮は大丈夫ですか」と聞くのである。その頃土橋氏は病気だと聞いていたが、なる程顔色がよくない。「土橋さん、来年も又出雲へ参られるのですか」と聞くと「無論参ります」という答えである。その時である。「来年は私もご一緒しますよ」と突然私は言い出したのである。その直前迄は、考えもしなかったことである。当時の私の忙しさでは、遙か遠い出雲へ行くことなど、到底考えられないことだった。

 忘れもしない二十八年一月十一日、私が東京駅で汽車に乗り込むと、一人だと思っていた土橋氏は奥さんと同伴だった。奥さんは弁解がましく、「土橋はどうしても一人で行くといって聞かなかったのですが、病状が心配で、土橋には無断で切符を買って乗ってしまったのです」と言う。なる程土橋氏は車中で絶え間なくしゃくりが出て、如何にも苦しそうだった。
 大社のご神前では、心をこめてその年から始まる資生堂躍進五か年計画の成功を祈願した。
 参拝が終わって、直会に招ぜられた。私は土橋氏と並んで座り、二人の前には、前々管長の千家尊有先生が端座しておられた。挨拶が終わり雑談数刻の後、突如私の口から、私自身も考えもしなかった言葉が、口をついて出たのである。「土橋さん、あなたの後は私が引き受けますよ」と。
 後日の土橋氏のことを考えると、私はそのために、わざわざ出雲へ出掛け。管長さんの前で、このような誓いをしたこととなったのであった。私が多忙を極めた中で、考えもしなかった出雲参りをしたということ、そして管長さんの前で、これも又思いもしなかった土橋氏参拝の引き継ぎを誓ったことなど、どうしてもはかり知れないご神霊によるものとしか考えようがないのである。

 土橋氏は参拝のその夜から熱を出して、宿で寝込んでしまった。そして三日後帰京し、直ちに入院したが、三月三日雛祭りの日に他界された。
 後日奥さんから聞いたことであるが、あの時は可成りの重態だったので、皆ひきとめたにもかかわらず、死んでも参る、と言って聞かなかったそうである。
 今日資生堂は、日本の化粧品界のトップメーカーとして隆々と繁栄の道を歩んでいる。もとよりこれは広大なご神徳によるものであるが、同時に土橋氏のこのような熾烈な信仰の賜であると信ずるものである。

 このようないきさつで出雲参りをすることになった以上、私としてはからだの続く限り参り続けなければならない責任を感ずるのである。
 本年で私の出雲参りは十六年目、回数では三十二回になる。土橋氏の参拝記録は五十二回だと聞いている。氏の記録に達するには、尚十年かかるわけである。
 願わくば、健康であって、全資生堂のために、いつ迄も出雲参りの責任が果たせることを。

今も続く、出雲大社と資生堂とのご縁

 このような不思議なご縁によって結ばれた、出雲大社と資生堂とのご縁ですが、今もなお続いています。平成28年3月までお仕えされる「出雲大社平成の大遷宮」において、資生堂の社長様に出雲大社御遷宮奉賛会の副会長に就任頂いています。
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<このページの筆者>
 中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。
・ツイッター@nkjm_tkhr

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