隠れキリシタンに日本人の宗教意識を見る

隠れキリシタンに日本人の宗教意識を見る

 「隠れキリシタン」というのは、江戸時代初期にキリスト教が禁教になった後も、隠れながらキリスト教の信仰を代々持ち続けてきた人たちのことです。明治維新後に信教自由となり、ヨーロッパから宣教師が再びやってきて、長崎で隠れキリシタンが発見されます。しかし、その時彼らが行っていた信仰は、何代も世代を経るうちにカトリックとは全く違うものになっていた、という話を聞いて、そこに日本人特有の宗教意識が表れているのではないか、と考え、隠れキリシタンについての本を何冊か読んでみました。

隠れキリシタンとかくれキリシタン

  まず、最初に知って驚いたのは、隠れキリシタンは明治維新後に堂々とカトリックに復帰したのかと思っていましたが、そうではなかった、ということです。正式なカトリックに復帰した人もいましたが少数で、多くの人は従来の信仰をそのまま続けていたようです。これは学者の関心を引くことであったようで、明治維新後もその信仰を続ける人たちを「かくれキリシタン」とか「古キリシタン」と呼んでいるようです。
 隠れキリシタンは江戸時代に厳しい弾圧を受け、神道や仏教を隠れ蓑に、キリスト教の信仰を密かに続けます。しかし、長い時間はその信仰を変え、実質日本の民俗宗教と習合してしまったようです。隠れキリシタンは長崎で平戸、生月、外海、五島等何ヶ所かあったようで、秘伝ですからその地域地域で少し違いもあるようです。生月島の隠れキリシタンが一番大きく熱心だったため、調査もそこのものが情報が多く、わかりやすくなっています。
 それらの「かくれキリシタン」の信仰について、神道者から見て気づいたことを書いていきます。

神道者から見るかくれキリシタンの信仰

「オラショ」
 オラショとはポルトガル語で祈りという意味ですが、かくれキリシタンでは祈る時の唱え言葉、を意味する言葉として使われているようです。戦国時代に伝えられたオラショの原書と、かくれキリシタンに伝えられたオラショの文面を比較した調査があるようですが、日本語の部分はほぼ同じ形で伝わっていますが、ラテン語の部分はかなり変化してしまったようです。
 これは口伝と暗記で伝わってきていますので、仕方のないところです。しかし、どうも日本語部分もあまり意味を理解せず、早口で暗唱してきたのではないか、という話があります。
宮崎賢太郎氏の『カクレキリシタンの信仰世界』(東京大学出版会)では、「日本文のオラショはその意味を理解しようと努力すれば可能であるにもかかわらず、まったくその努力はなされていないといってよい。立て板に水のごとく、いかに早く流暢に暗唱することができるか、という点にのみ関心が払われている。(中略)ラテン語文のオラショはまさに呪文であって、むしろそれゆえに呪術的・神秘的力を有していると感じているのではないだろうか。」と書かれています。意味の理解が大切というより、それよりも独特の調子の文を読むことに功徳を感じる、というのは神道の大祓詞や仏教のお経を思い出させます。

 また、宮崎氏はオラショに宣教師が伝えた「伝承のオラショ」とのちに人々の要望を受けて作られた「創作のオラショ」に分けられるとしています。そして創作のオラショの内容は「大量祈願、豊作祈願、病気平癒祈願、安産祈願、航海安全祈願、幼児の成長祈願、船・家・墓石・仏壇等の魂入れ、田・畑・山・沼等の悪霊払い等」ということで、この内容を見ると神社の祈願で上げられる祝詞かと思ってしまいますが、神や祀った殉教者に現世利益をお願いする、というキリスト教とは程遠いものになっています。

「オジ役」
 オジ役とは生月のかくれキリシタンの組織ではもっとも重い職で、お授け(洗礼)を行います。重要な役であり、またお授けは最も大切な宗教行為ですから、様々なタブーがあったようです。例えばお授けの一週間前からは夫婦の交わりを禁じるとか、牛に触れたり下肥に触れてはいけない、などですが、最も興味を引くのは、宮崎氏の前掲書によると「お授け当日、オジ様は全裸で冷水をかぶり、水垢離をとらねばならない。そのときオジ様は濡れた体を拭いてはならず、バンバ様からお授け専用の御用着物を着せてもらわねばならない。また下着を付けてはならない。」という行為です。水で体を清めるというのは神道の潔斎を思わせますが、体も拭かないというのは徹底しています。タオルを使うことで不浄が移ることを恐れる、という事だと思いますが、聖なる仕事をする時は出来る限り清浄であらねばならない、ということでしょう。

 それから、次のオジ役を決めるのに、祈祷師を連れてくる、というのは面白いところです。降神を行って神のお告げを聞くようですから、祈祷師というより霊能者の一種である霊媒という方が正しいでしょう。霊媒を呼んで神のお告げを聞く、というのは神道系仏教系関わらず、昔の日本の民俗宗教では広く行われてきました。
 呼んできた神も宮崎氏が聞いたものの一つは水天宮様だったそうで、デウス(ゴッド)でもないようです。

「神寄せ」
 これも生月での信仰のようですが、オラショの前にすべての神を呼び寄せます。これを神寄せというようですが、神道の降神を思わせる思想です。またお呼びする神は、マリア様、キリスト様始めキリスト教の聖人、そして祀った殉教者など、地区によって異なるようですが、多いものだと五十柱もの神をお呼びするようです。唯一絶対神であるデウスのみでよさそうな気がしますが、そうではないようです。

「オテンペシャ」
 オテンペシャとは麻縄て作られた四十六本の紐を束ねたもので、元々は悔い改める際に自分で自分の体を打った鞭のようです。しかし、これもなんに使うのか忘れられてしまったのか、神道のお祓いの時に使う大麻(おおぬさ)のように祓いの道具として使われるようになりました。

「お札様」
 6センチ×4センチ程度の木の札に、ロザリオの十五玄義図という宗教画が書かれているもので、それにプラス1枚して、毎月、あるいは定期的にこのお札を引いて良い札が出ると喜ぶ、というもので、お札様と呼ばれているようです。
 吉凶を占うおみくじと非常に似ていて、一番良い札を引くと、良すぎるから気を付けなければならない、とも言われているところなどは本当に日本人的な発想だと思われます。

「戻し方(葬儀)」
 徳川幕府はキリシタン禁止のために寺請制度を引いたわけですから、隠れキリシタンも当然、表向きは仏式で葬儀をすることになりました。しかし、どの宗教でも葬儀というのは重要であり、キリシタンの葬儀をしなければパライゾ(天国)へは行けないかもしれない、と隠れキリシタンが思ったのは当然のことです。
 そこで行われたのが「経消し」と呼ばれるもので、僧侶がお経をあげている間に別室でお経消しのオラショを唱えます。しかし、これもまた地域によって状況が異なるようで、生月では感覚としては仏式を消すためというよりは、仏式とキリシタン式の両方とも功徳があると思われているようです。
 供養も当然行われて、地域差はあれども初七日、四十九日、百日、一年、三年、十三年などにオラショを上げたりするようです。仏式の供養も行っていますから、同じくするのであると思われます。

なぜかくれキリシタンはかくれのままなのか

 なぜ、かくれキリシタンの人たちはカトリックに復帰しなかったのか、未だにカトリックに復帰しないのか、その理由はいろいろあるようですが、
・神道や仏教といった日本の民族宗教と習合してしまい、あまりにもカトリックとかけ離れてしまったから。
・先祖から受け継いだ信仰を続けていくことが大切であると考えているから。
・信仰を捨てると罰が当たるのではないか、と考えているから
・明治にカトリックの布教にきた人間の態度に問題があり、自分たちの信仰を否定された。
というところが大きいと思われます。

近藤儀左エ門『生月史稿』(芸文堂)ではこのように述べています。
「カトリックも古キリシタンも、イエズスを拝み、マリアを尊ぶことにおいては変わりないことを承知しているが、彼等の多くが農夫や半漁半農、教養の程度、生活条件などによって、数百年の間に変容された信仰になっているのである。唯一最高の神デウスに捧げる信仰ではなくて、殉教者の霊をまつり、先祖の遺産であるところの神を棄てることができないのである。すなわちわが国固有の多神教的信仰であろう。」

気になること

 このかくれキリシタンの研究はキリスト教信者によって行われ、本も現在のキリスト教信者が書いていることが多いのですが、一つ気になることがあります。それは、どうもキリスト教信者の人は、かくれキリシタンの信仰や日本の民俗信仰を「下」に見ているではないか、ということです。
 例えば、片岡弥吉『かくれキリシタン』NHKブックスはこう書かれています。
「そのような混成宗教化、土俗化を示しながらも、この人びとはデウスを信じ、サンタ・マリアに祈る。政治の弾圧にひずんだ思想の正常化はかくもむづかしいのであろうか。」
「四○○年伝承のこの信仰を、いかにして祖先本来の宗教性に高め、価値づけるかが、かくれキリシタンの当面する課題のように思われる。」

 これを読むと、かくれキリシタンの信仰は正常ではなく、宗教価値が低いものだと言っているように感じます。
キリスト教徒の気持ちもわからなくはありません。最初は弾圧を受けて隠れてまでキリスト教の信仰を守ってきた人達、と感動するわけですが、よく調べてみるとキリスト教から全然かけ離れた日本の民俗宗教になっている。しかも信教自由になった今でも正式なカトリックに復帰しない、というかくれキリシタンの人達に納得できないところがあるのでしょう。
 明治期にカトリックの布教に来た人達の中で、かくれキリシタンの信仰は間違っている、みたいな高圧的な態度で布教した者もいたようで、それも多くのかくれキリシタンがカトリックに復帰しなかった大きな理由の一つであるようです。
 
 宗教性が高い低いとはいったい何なのか、という話はさておいて、しかしかくれキリシタンの信仰、行事を見ていきますと、本当に真面目で熱心だと思います。もちろんそうでないと400年残るわけがありません。彼らが考えてきたのは「自分たちの先祖が続けてきた信仰を、そのまま受け継いで行っていくことは、自分たちのためでもあるし、先祖の霊のためにもなる」ということではなかったかと思います。

日本人の宗教意識とは

 こうしてかくれキリシタンの信仰の特徴を見ていくと、結局のところ「唯一絶対神の元での死後救済の宗教」というキリスト教の要素はほとんどなくなってしまい、「八百万の神の世界での現世利益と先祖崇拝の宗教」になってしまった、つまり、全くの日本の民俗宗教になってしまったと感じられます。
 よく考えると仏教もそうです。仏教も本来は解脱を目標とする個人救済の宗教で、日本に入ってきた時は国家鎮護の宗教でしたが、結局は仏に現世利益を祈り、先祖を供養するという宗教になってしまいました。これと全く同じ事になったわけです。日本人はあまり宗教を意識していないと言われますが、実は相当強固な宗教意識を持っている民族なのではないか、と感じるのです。

余談

 宮崎賢太郎氏の『カクレキリシタンの信仰世界』の中に、殉教者の祠の前で神職の金子氏がかくれキリシタンの人たちと豊作を祈願するお祭りをしている写真が載っています。
 また、宮崎氏はこのような話もされています。
 「館浦の比売神社の神主金子証氏は大胆にも、「もしよかったらキリストさんを自分のところの神社にお祀りしてあげてもいいですよ」と語った。日本人の宗教感覚を端的に表現しており、カトリックである筆者は一瞬唖然とし、次の瞬間その包容力の大きさにある種の感動を覚えた。」

 この話を聞いて、神主の私も面白いとは思いました。ちょっと考えてみましたが、神道的に間違っているとは思いませんでした。キリストさんは外国の人ですが、八百万の神の中には外国の神もいますし、人間だった神もいます。そもそも村人が信仰してる神さまなんだから、村人の人びとが支えている氏神社にキリストさんを合祀するのは何の問題もありません。そして現世での加護を期待する、というのも自然なことでしょう。
 熱心なキリスト教徒の人には耐えられないものかもしれませんが、イエス・キリストも聖母マリアも、唯一神デウスも日本にはいると八百万の神々の中に引きずり込まれてしまう、これが神道であり、これが日本人なのだ、と思うのです。

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<このページの筆者>
 中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。

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