私たち人間も含め自然に完全なものはほとんどありません

自然に完全なものは少ない

 榊という木があります。ツバキ科の常緑樹ですが、木へんに神と書くこの漢字は国字、つまり日本で作られた漢字なのです。その字の通り、榊は神事でよく使います。神棚にお供えするのもそうです。神社では大きめの榊の枝を祓い具として使うことがありますし、社殿や鳥居などにつけることもあります。これは神域、聖域を示すものでしょう。その他に重要な用途として玉串があります。
 玉串は榊の枝を三○センチくらいに切って、紙垂(しで)を取り付けます。神社の祭典において、神職の拝礼、参列者の拝礼に玉串を用います。その語源や由来は諸説ありますが、神さまと自分をつなぐものなのではないかと思います。

 さて、その大切な玉串ですが、出雲大社紫野教会では以前は上賀茂の農家の方から榊の枝をたくさん頂いて、そこから切って玉串を作製していました。神さま事に使うもの、参列者の祈りを込めるものですから、できる限りきれいなものを用意したいところです。葉っぱに元気があって、深い緑色をしていて、さらに枝が真っ直ぐ伸びていてその左右に枝葉が均等な比率で広がっているようなものが理想です。

 しかし、実際に頂いた榊の枝を見ると、そんな条件のいいものはめったにありません。枝が二股に分かれていたり、片方ばかりに枝分かれしているものもあります。また葉っぱには虫食いがあったり、汚れ、斑点があったり、枯れている葉があったりするものがほとんどです。これはよいと思ったら、真ん中の枝の先端が切れていてがっかり、というものあります。
 この中から良いものを選んで、悪い葉は取り除いていったりするわけですが、大きなお祭りになると玉串は何十本も必要となります。ある程度は妥協せざるを得ません。

 大量の榊の枝を見て、私がいつも思っていたのは自然とはこういうものなのだ、ということです。どこかに欠けているところがあって、完全なもの、完璧なものはほとんどありません。
 自然のものがそうなのですから、その一員である私たち人間も同じです。いいところもあれば悪いところもある、美点もあれば欠点もあります。あの人は完璧なんじゃないかという人にもどこか欠けている部分はあるのでしょう。
  私たちは自分に気に入らないところがあります。あるいは他の人の欠けている部分が気になって仕方ない時もあります。しかし、それも自然なのだから仕方ないと許容する気持ちが必要だろうと感じています。

 世の中生きていく上で、よいものにしていこう、もっと自分を高めていこう、完全完璧は無理としてもそれに近づいていこう、と努力することは大切です。榊についても業者の方はさまざまな努力をされているように思います。ただ、虫がつかないよう病気にならないように農薬をかけたり、コストダウンするために海外で栽培して輸入してきた榊もあるようです。そこまでいくと、それを神事で使ってよいものなのか、考えてしまいます。人間の世界もなかなか難しいものです。


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<このページの筆者>
 中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。

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