古神道とは

古神道とは

 古神道とは、昔々、古代の日本人が持っていた信仰で、仏教伝来以前の、元々の神道ともいうものです。しかし、今の神道界ではあまり重要視されていません。例えば、國學院大學日本文化研究所編集の『神道辞典』(弘文堂)を見ると、「古神道」で項目はありません。ただ「古神道仙法教」と「古神道本宮身曽岐神社」という二つの神道教団の項目があるだけになっています。
 現在、神道として伝えられているもの、または神社で行われているものは、過去から引き継いでいるものではありますが、仏教など外国の影響を受けて、古代のものとは違ってきています。そこで、仏教などの影響を外していけば、古代の神道、オリジナルの神道に近づくのではないか、と神道に熱心な人は必ず考えるようになります。

 古代の文献と神代文字

 現在古神道と呼ばれるものと関連して、古代の文献と神代文字の話があります。
 神道を勉強すると誰でも気がつくことですが、文献が数えるほどしかありません。神話時代でまとまったものは古事記の神代か、日本書紀の神代くらいしかなく、あとは風土記などに断片的に伝わっているだけです。また、初期の天皇の記載も限られていて、第二代綏靖天皇から第九代開化天皇まではいわゆる欠史八代と言われ、御事績がほとんど伝わっていません。
 そこで、「記紀ではない文献が発見された」として新たな古文書が出てきます。有名なところでは「ホツマツタヱ」や「竹内文書」というのがあります。他にもありますが、共通するのは神話や初期天皇の時代をを記紀よりも遙かに詳しく語っていることです。中には日本と世界との大きなつながりを記した壮大なストーリーが展開されているものもあります。

 しかし、これらの文献はすべて後世の偽作と言われています。江戸時代中期から昭和初期くらいの間に良く作られました。○○家に伝わっていたとか、どこかの家から発見された、というのですが、冷静に考えて記紀以上の文献が庶民の家にだけ残っていたというのは考えにくいことです。これらの文献は学術的な調査はほとんどされていません。それはまともに分析するほどの価値がないと判断されているためです。ただ、竹内文書は戦前にある学者が一部を分析し、偽書であると断言しています。違う時代の古文書の筆跡が同一人物が書いたものであったり、官職などの間違いがあったり、その当時は使われていないはずの言葉が書かれている、などと指摘されました。
 
 また、中国から漢字が入ってくる以前に日本に文字があったとする書物もあります。神代文字といい、何種類か伝えられています。しかし、これらもすべて後世の偽作と思われます。中にはハングルの影響を受けたと思われるものもあります。古代に日本固有の文字があったのかもしれませんが、もしあったとしても、その後実際に使われていない文字では、たいした意味を持たないのではないでしょうか。

 偽書を作る動機についてはお金、名誉、本人の願望などいろいろあるようで、非常に興味深いところです。興味のある方は、神道書というわけではありませんが、同じように古代の歴史を語った偽書についての本、「偽書「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」事件」(斉藤光政著、新人物往来社)を読むと面白いでしょう。その程度の本が珍重されたのかと驚きますが、無茶苦茶なものでも、それを信じたい人が現れると、細々であっても生き延びていく、ということがよくわかります。

 古神道の行法とまじない

 今、古神道というと、その行法やまじないについて関心を持つ人が多いようです。個人的にも興味があるので、古神道行法というような本を片っ端から読んでみました。私見としては、これらの行法は三つに起源を持つのではないかと考えています。

・道教由来のもの
・仏教由来のもの
・霊能者、神道家由来のもの

 大和時代から、中国の仏教、儒教、陰陽五行説といった中国思想がたくさん入ってきました。陰陽道はそれらの中国思想を中心に日本で作り上げられたものですが、陰陽道由来の行法、まじないが多く古神道と呼ばれるものに入っているようです。太極、五行(木・火・土・金・水)、神仙などといった言葉を使っているものは中国起源であると見て間違いないところです。また仏教からは密教のものが入っているようです。
 明治から昭和の初めにはたくさんの神道家や霊能者が出ましたが、この人たちが過去の行法まじないなどを取り入れつつ作り上げたものが、いわゆる古神道行法となっています。このような行法に興味を持つ人はオカルト好きな人が多いわけなので、霊能者という人の影響をかなり受けやすい人たちです。霊能力が高い人が作り出した行法、また、霊媒に神が降りてきて伝えた行法などは、信奉者にとっては本物中の本物と感じられたことでしょう。

 ただ、ここで最初に振り返ってみると、古神道とは仏教などの中国思想が入る以前の日本の神道という定義だったはずですが、実際にはそのほとんどが後世に作られたものであることに気がつきます。長らく神祇伯をつとめた白川伯王家に伝わる行法というのもあったようですが、すでにいろんなものが混ざっているため、ひょっとすると本当に古代から伝わっているものがあるのかもしれませんが、もはや真偽はわからなくなっています。

 神道とオカルト

 こう見ていくと、がっかりされた人もいるかもしれません。
 ただ、偽書は論外として、行法やまじないに関しては、一概に切り捨てられないところがあります。というのも現在の神道では行法やまじないといった要素が非常に薄いためです。神道で修行的なものというと、禊行(滝、海、川)、石上神宮伝来といわれる鎮魂行、それと正座して長時間大祓詞を奏上する、くらいしかありません。現在神社でよく行われている禊行も戦前に川面凡児という神道家が作り上げて、広く行われた様式を採用しています。神道に熱心になった人が、神社参拝だけではものたりなくなった場合、また、非日常的な修行のようなことをやりたくなった場合、古神道行法なるものに興味を持ち始める、というのもまた自然なことだと思います。

 行法、まじないの世界に足を踏み入れる場合は、インターネットや本で情報を得るだけではだめで、誰か師につかなくてはなりません。しかし、オカルト的な力があってしかも人格も優れている人を捜すのは非常に難しいところです。神道とオカルトのどちらが本当に好きなんだ、という話になりますが、古神道行法と呼ばれるものが、神道よりは中国の信仰に近いものである、それをわかっていれば良いのではないでしょうか。
(平成26年11月に全面改稿しました)

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<このページの筆者>
 中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。
・ツイッター@nkjm_tkhr

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