人を神として祀るのはいつから始まったのか

人を神として祀るのはいつから始まったのか

 司馬遼太郎氏の書かれた話で「ポンペの神社」というのがあります。(この国のかたち(二)に収録) ポンペさんというのは江戸時代末期に幕府によって医学教官として招かれたオランダ人で、門人の一人が先生から受けた恩が忘れられず、自宅にポンペさんを祀った祠を立てて朝夕拝んでいた、ということだそうです。

 「人を神として祀る」というと、菅原道真公や豊臣秀吉、徳川家康、近いところで言えば靖国神社もそうですが、これは一体いつ頃からなのか、というと、かなり昔からあったようです。
 奈良時代の国史「続日本紀」の養老二年(718年)四月の条に以下のような記述があります。

 筑後守・正五位下の道君首名(みちのきみおびとな)が卒した。首名は若くして律令を習得し、官吏としての職務に熟練していた。和銅末年に地方官となり筑後守に任ぜられ、肥後の国司も兼務した。〔彼は〕人民に生業を奨励し、箇条書きの規程を作って、農作業の仕方を教え、耕地には〔稲の他に〕果物や野菜を植えさせた。はては鶏や豚〔の飼育〕にいたるまで皆規程があって、〔それらは〕実に適切をきわめていた。そうしておいて〔首名は〕時おり巡察し、もし指導に従わない者がいたら、〔違反の程度に〕応じて罪を勘案して罰した。 
 はじめのうちは、老人も若者もひそかにこの施策をうらみ罵ったけれども、効果があがるにつれて、喜んで従わないものはなくなった。〔そのため〕一、二年もすると、国中が〔首名の〕指導に従うようになった。また、堤と池を構築し、灌漑を拡大した。肥後の味生(あじう)池や筑後の所々にある堤池は、皆〔首名の〕造ったものである。これによって、人々はその利益をこうむった。今もその益を豊かに受けているのは、皆首名の功績である。故に官人の職務について論ずるものは、みな〔首名を〕第一にあげて称えた。〔首名が〕卒したのち、人々は〔首名を神として〕祠った。(現代語訳は直木孝次郎『続日本紀』東洋文庫による)

 大国主大神が国造りをされ、国民にいろんなものを教えられて、今も役に立っている、という日本書紀の話を思い出しますが、怨霊信仰でもなく、顕彰でもなく、御霊祭祀でもない、本当にその人を敬愛したので祀った、というものです。
 続日本紀より前の日本書紀では庶民の信仰についてはほとんど記述がありませんが、もちろんこのようなことが奈良時代から始まったというのではなく、それ以前から広く庶民の間で行われてきたのではないかと思います。

 司馬氏は神道の本質について精霊崇拝(アミニズム)なのか憑霊呪術(シャーマニズム)なのか現世利益的な授福除祭の儀式なのかどうもまとまらない、と述べておられます。私が思うにはどれか一つだけが神道ということではなく、すべて神道なんだと私は考えています。

 司馬氏は又「かれはただポンペを敬するあまり、カミとしてまつったのである。古神道の一形態とは、こんなものだったのかもしれない」と書かれていますが卓見であると思います。

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<このページの筆者>
 中島隆広 : 出雲大社紫野教会、教会長
昭和46年京都府生まれ。名古屋大学経済学部卒業、会社員の後、パソコン部品のインターネット通販の会社を起業して経営する。会社売却の後、國學院大學神道學専攻科に入学し、神主となる。

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